コミュニケーション

[個人メモ]
 人は見たいものを見るものです。すれ違いや錯覚を産むのも、自分が見たものを見たいように認識を変換するかららしいです。
聞きたいことも知りたいことも、人間は相当に自分勝手な生き物なので、脳味噌が勝手な変換をどんどんしていきます。
意識のズレと言うものは基本的に産まれやすいものです。
立場や職種や性別や年齢や色々な要素が全く同じ人間なんていないので、例えば仕事の辛さを説いたとしても、全く同じ感想は出ないはずです。立場を置き換え推測したとしても、経験や体験によって感じ方は変わるはずです。


 日頃の日記や文章にしても、作っている最中に着地地点が変わってしまったりしてしまいます。路線を変えない技術は世間に色々ありますが、意識を意識しない限りふらふらしているのが意識です。*1

最初に創りたいと思ったものと、実際に創られたものとの違いは少なからず出るもので、会心の出来と言うものはなかなか有り難いです。複数の人が人を通して創るモノなら、更に伝言ゲームによる位相や同期のズレを産むことでしょう。
作品を何らかの形で産み出すには少なからずズレがあるはずです。

 造られ発信したものが、ある程度の空間と時間を通して受け取り手、読み手の元に届きます。
読み手の人は、絵や文字を読み、消化して、自分の意識の中にあるものと比較して、自分の知識とします。
受信して増幅して再生されると言う流れですが、そこに波長や意思のズレが波形の歪みとなり品質の低下、もしくは希に異常伝搬による過剰な増幅が発生します。

 送り手(書き手)は最初に発信したいと思う事を形にしますが、
受け手(読み手)は自分が思った様に受け取ります。

果たして作った人の思いは読んだ人にどれほど伝わるのでしょうか?

中にはズレが無い人も居るかもしれませんし、全く意図してない風に捉えられる人も居るかもしれません。
 知り合いと一対一の会話でさえも、時にはすれ違いがあり喧嘩をしたこともあるでしょう。一対不特定多数で一方通行になってしまう発信ならばなおのことです。


 同人活動と言う場に置いてでも、はてなさん家の皆々様におかれましても、議論を交わしたり一方的な評論をしたり、時には熱くなりすぎたりすることもあるかもしれませんが、人間が人間を完全に解る事は不可能であると思います。
でも、だからこそ、違いがあるから面白いと何処かのエロい人も言ってますし、自分のイメージと違うからとネガティブに捉えすぎるのではなく、むしろ応援してあげるくらいのスタンスが良いんじゃ無いかなと思うのですよ。


ここまで書いててアレですが、儚月抄は普通に結構好きですよ。酒でも呑みながらまったり読みましょーよ。

*1:テスト期間はやけに掃除がはかどるとか、大掃除をしないといけない時には昔の漫画がやたら面白く感じたりとか、眠りに落ちる前にふと一瞬だけ素晴らしいアイディアが産まれて即消えるとか